Bae Jae-Chul

裵宰徹(ベー・チェチョル)/ Tenor

甲状腺がんで、声を出すために必要な3つの主要神経をすべて切断しながら、日本での声帯回復手術により、声楽家として復活を遂げた。片側の声帯が完全に麻痺した状態で歌っている、歴史で唯一の、奇跡のテノール。

1969年韓国に生まれ、ソウルの漢陽大学を卒業後、イタリアのヴェルディ音楽院を修了。直ちにヨーロッパ各地の声楽コンクール(

98年ジュリエッタ・シミオナート) (98年フランシス・ビーニャス)(98年プラシド・ドミンゴ・オペラリア)(98年ビルバオ)(99年ヴェルディ)等に優勝・入賞を重ねプロデビュー。ハンガリー国立歌劇場、ビルバオ、トリノ市立歌劇場、パルマ市立歌劇場、マドリッド・オペラハウス、デュッセルドルフ・ライン歌劇場、サヴォリンナ・オペラフェスティバルなどでトスカ(カヴァラドッシ)、ボエーム(ロドルフォ)、蝶々夫人(ピンカートン)、ルチア(エドガルド)、リゴレット(マントヴァ公爵)、トロヴァトーレ(マンリーコ)、マクベス(マクダフ)、ファウストなどを歌って、本場各地でも大きな成功を収める。世界的にも貴重な「リリコ・スピント」の声質を持つ。

日本には2003年の9月にオーチャードホール(渋谷)にて行われたヴェルディ「イル・トロバトーレ」で初登場、衝撃的なデビューを飾った。女優の冨士眞奈美、吉行和子、岸田今日子の三女優がナビゲーターをつとめるおしゃべりコンサート「歌に生き、恋に生き」の全国ツアーでは、オペラマニアから初心者までを熱狂させる大成功を収め多くのファンを獲得。

 

「アジアのオペラ史上最高のテノール」と称されながら、ヨーロッパの歌劇場で活躍中、2005年10月、甲状腺ガンであることが判明、その摘出手術の際、声帯と横隔膜の両神経を切断。歌声に加え、右側の肺の機能を失う。しかし、多くの日本のファンの支援のもと、2006年4月25日京都にて、京都大学、一色信彦名誉教授による甲状軟骨形成手術を受ける。厳しいリハビリの日々を送る姿が日韓両国でのドキュメンタリー番組(NHK「BSハイビジョン特集」「プレミアム10」「ニュース・ウォッチ・ナイン」、「KBSスペシャル」他)や、報道を通じ多くの共感を呼んだ。

 

2008年前半より教会などでの演奏を再開。12月には歴史的ともいえるCD「輝く日を仰ぐとき」の録音と同時に奇跡とも言える舞台復帰を遂げた。

 

2009年9月には、初の自伝「奇跡の歌」がいのちのことば社・ライフクリエーションより新刊発売。10月には、自伝出版記念全国リサイタルツアーを全国5箇所にて開催。

 

2009年、フジテレビ「とくダネ!」「奇跡体験アンビリバボ-」に出演、またクラシックCDチャート1位を獲得するなど、その演奏活動が日韓両国において、ますます注目されている。

2014年には、その人生と、共に歩いた人々との絆を描く日韓合作による映画「ザ・テノール 真実の物語 (原題: The Tenor Lirico Spinto )」がアジア各国、またイスラエル等でも上映され、感動が続いている。




なぜ、韓国のオペラ歌手なのか?

 

ベー・チェチョルは、かつて、アジアの歴史が経験したことのないほど、オペラの舞台で燦然と輝くテノール歌手でした。

しかし、がんという、死の淵を歩き、そして多くの人々の祈りのなかで、神の奇跡を体現、人類の歴史では他に例のない歌手として、舞台に復活しました。

以前の彼は、一声で人々を驚嘆させる「偉大なオペラ歌手」でした。しかし、苦難を越えて歌う現在のベー・チェチョルは、一声で人々の苦しみや悲しみを慰める「歌う芸術家」になったのです。「友人に誘われて、何も知らずに来たのに、なぜかわからないけれど、最初の一声で涙が止まらなくなった…」、彼のコンサートの度に、毎回必ず多くの方からそのようなお声を頂きます。

愛は目には見えません。そして音楽の最も美しい部分も、耳には聞こえないのかもしれません。ベー・チェチョルの歌声は、その歌声そのものが日本と韓国という大きな歴史の苦しみを越えて支え合った両国の人々のデュエットそのものであり、また、彼の歌は、音楽という形をした、祈りそのものになったのだと思います。

彼の歌声を通して、愛し合うこと、信頼し合うこと、支え合うことの素晴らしさを共感する輪がどんどん広がり、その先には、国と国との関係や、未来の歩みが変わると、私たちは信じています。